リリース

これは2018年4月27日に、神戸ゴルフ倶楽部で行われた第一回日本ヒッコリーオープン選手権に関して一参加者及び準備要員の体験記である。プレーの件等々読者諸兄の参考になれば幸いにて候

2018年10月9日 Dr. Hickory 記す

大会の始まりについて

国内のヒッコリーゴルフ史において、1980年代後半から現在にかけて各種イベントは行われてきたが、キチンとした選手権というものは行われなかった。

 そんな中、日本選手権を行うという話は、イベント開催などヒッコリーゴルフの発信元であるCuthbert & Co.代表のアレックス・ブルース氏により2017年に上がり、同年10月末週に神戸ゴルフ倶楽部で行われる話であったが、諸事情で延期になり、明けた2018年4月27日に開催する事と相成った。

 この計画は筆者もお付き合いのあるJGAミュージアム委員武居辰一氏曰く、2015年頃に武居氏が神戸GCの方々と諸般について語り合っていた際にヒッコリーゴルフが俎上に上り、氏が『こういう御仁がいるよ』とブルース氏を紹介したことが始まりであった。と語られている。

筆者はブルース氏の経営するショップのクラブ修理を行っている関係から氏とヒッコリーゴルフについて「如何しましょう」「こうしましょう」と話すことが多々あり(むしろコチラがあっての修理アルバイトに採用されたわけだが)、この大会についてのお手伝いをすることに成ったのである。

まず大会を行うにあたり、当時の六甲の神戸GCの基準打数であったボギーを使ってプレーをしよう。72ではどうか。というブルース氏の提案を受け(これは1920年代の倶楽部選手権の優勝スコアが140台であったことから考えられたそうだ)、筆者が昔の神戸GCのボギーを調べて氏に伝えたのが2017年の初夏であった。

※なお本来のボギーとは、良いゴルファーがミスのない順当なプレーをしたレベルの基準打数で、日本や英国では1930年代後半まで使われていた。

一方最初期のパーはスクラッチやプロが完全無欠のプレーをした基準打数で、1900年頃の英国ではコースレートよりも厳しいことがあった。

当初の予定が流れて2018年に行うことが決まった際に、改めて現在のヤーデージに合わせた換算のほうが良い事を伝えると『ではやって下され』と依頼された所から、男子バックティ、女子フロントティからの換算で各位イージー・ノーマル・ハードの三通りのボギー数を換算した

※男子66・71・75 女子73・75・77

『この案を神戸GCの方の意見とすり合わせてくだされ』と、ブルース氏に送ると後日氏から神戸GCの方から『松村は解っているではないか』というお褒めの言葉をいただいた。と連絡があったが、それはさておき。大会用ボギー数はノーマルプランの男子71・女子75に決定した。各ホールの振り分けは以下の通り

男子

334,444,543=34 445,345,534=37 Total71

女子

444,444,544=37 445,445,534=38 Total75

筆者の準備もろもろ

筆者は、ゴルフ史の研究をやっている以上六甲へは一度は行かなければならない。という思いが在り、今回の大会で向かう事が出来るのは願ったり叶ったりであったが、時間はあれども文無しである身としては、道中は安泊行でなければならない

2月の終わり頃から、筆者のもう一つのジャンルの研究でお世話になっているSPレコード収集家の岡田則夫氏(氏については雑誌『レコードコレクターズ』をチェックされたく)や、ビブリオマニア書籍収集家で知られた某国立大学の日本史研究員殿ら資料探しで全国を巡る安泊行のベテラン方にプランを相談すると…

本当の安泊行、旧ドヤ街(が故にセキュリティがしっかりしている。と)や商人宿のような所に泊まり、25~28日にかけて京都の北野天満宮から始まる骨董市巡りを進められたが、初心者たる筆者は難易度が高いので、とりあえず深夜バスとビジネスホテルで神戸三宮に滞在し、最終日に広野GCのJGAミュージアムで資料閲覧(JGA及び同ミュージアム委員武居振一氏に許可を受ける)をする2泊4日のプランを作るが…

筆者が岡田氏らに会う度にあまりにプラン(特に移動手段)の心配をしていたので、彼らは3月27日に大会が行われると勘違いされてしまい、同月末に岡田氏の事務所を訪れたら『アレッ!?⁇』と驚かれるという出来事もあった。プランを練っている間、実地練習をせねば。と考え、母の実家の近くに山間を開いて造られた、谷に沿いながら大きな打ち上げ打ち下ろし、尾根沿いのショットができる対

神戸GC用練習にもってこいのコース(かつ回り放題)が在ることから、そこへ出かけようと考えたのだが、近くを通った父曰く『看板が無くなっていた』というので、調べると前年の2月に閉鎖されていた。

プレー練習ができないことに加えて、これで東京西部のショートコースが多摩川上流河川敷にあるスポーツ施設の物と、下流の東宝調布及び町田の山の中のみになってしまい落ち込むことになる。

その間後述する六甲用ウッドクラブ造りなどを経て、出発の前日24日にブルース氏から『大会前日の26日に会場の神戸GCで用具の準備をするが、自分が仕事のため神戸の到着が遅くなるので先に行って届いているケースからクラブを神戸GCのバッグ(後述)に詰めなおしてくれ』

と頼まれたので了解をする。

23日に都心へ出た際に、イラストレイターの大叩き男氏(氏もお誘いしたが別枠で六甲に行かれる予定であったので、この訪問記を所望された)から以前筆者が修理したパターを貸してもらい(これはプレゼントして頂いた)それ以前にもユニバーサルゴルフ社の村田代表からガタ付を修理するから貸してくだされ。とレプリカのウィリー・パークモデルのグースネックを借りていたのでこの二つを持っていき、グリーンの状況よってどちらかを使うことにした。

この大叩き氏の他にも何人かに如何です。と誘ってみたが、皆都合が合わず、また関東のイベントによく出られている方なども、時間及び資金面で断念されて居るのを見聞きしてひどく残念に思ったのである。

また、出発2週間前あたりから、当時ニュースで話題になっていた麻疹が関西で流行るのではないか。という心配があったのだが、わが母上曰く、『子供達(筆者と兄)には一回時代でも二回受けさせた』と云うのだが…

当時筆者は『一回で良いならそれで良いではないか‼』とゴネた記憶があり、それに加え予防接種が記録されてる母子手帳が、書類製作で行方不明になっていたので不安はさらに高まったのである。

(幸い杞憂に終わったが、後日手帳が見つかり確認した所、1歳の時の麻疹の予防接種証明印の上に中学時代の風疹の予防接種証明証が貼って在って、母上と『混合かしら⁇』と首をひねることに…)

 使用クラブについて

バスでの旅行ではゴルフバッグが持っていけないので、クラブとシューズ・ボールをユ社で頂いた箱に詰めて神戸GCに郵送する事にした。

持って行ったクラブは以下の通り

Wood

ウッデンクリーク 自作(40.25in、リアルロフト18°)

バフィスプーン  自作(39in、リアルロフト22°)

Iron

ドライビングアイアン シャフト交換(トムスチュアート、リアルロフト19°)

マッシーアイアン  シャフト寸伸ばし(トムスチュアート、リアルロフト28°)

スペードマッシー オリジナル(トムスチュアート、リアルロフト41°)

ニブリック   オリジナル(トムスチュアート、D&Wオクタローニー、リアルロフト52°)

ニブリック   スポルディングシャフトに交換(ライト&ディソン、St.アンドリュース、リアルロフト51°)

Putter

バーク(オハイオ)、ジャービス&ホワイト発注品P-2 

クラッシクゴルフCo. ウィリー・パーク型

そして先年ブルース氏にシャフト交換を依頼されていたミッドアイアン一本を加え、ほかの物と一緒にヤッコラセと箱に詰め込んだ

筆者が使ったセットについて、クラブのニックネームが解らない方へ、数字の番手に直して説明すると

ウッドが#4,5、アイアンが#1,4,6,9,9であるが、現在の超ストロングロフト時代では番手のロフトに随分と乖離が生じているので、(故にヒッコリー初見の方への説明で苦労する)

今流に合わせるとウッド#5,7 アイアン#3.5,6.5,9,AW,PWになるであろうか。

ちなみにヒッコリー時代のスプーンは20°はあったので筆者が使ったウッドたちはエキストラ扱いされていた。

 なお、ウッドについて番手が降られるようになってからは、メーカーによって#4がウッデンクリークであったり、バフィであったが、その後欧米では前者が#4と振られ、日本では後者が#4になった

ウッデンクリークと製作の悪戦苦闘

今回の六甲行きで非常に役立ったウッデンクリークについて書いてみたい。

ウッデンクリークとは、アイアンのクリーク(こちらがこの名称の本家)が打てない者の為に1910年代初頭に登場した“木のクリーク”で、主にシャローフェースで幅狭なヘッド形状をしていた。

筆者は六甲行きが決まって間もないころ、170~200ydのホールが多い同地攻略の為に、アイアンの様な打ち込みのできる、ロフトのあるウッドが必要と考え(手元にあったバフィスプーンはシャフトが短く柔らかめで不安、以前作ったV字ソールのウッデンクリークは色々としっくりこなかったので不採用)、荒削りでほったらかしていたヘッドを3月から製作をして、4月の初頭に出来上がったのだが、完成までにいろいろあり、

普通クラブは番手が短くなるにつれてシャフトの撓りは固く成っていくが、筆者はドライビングブラッシー(#1.5ウッド、筆者はドライバーを使わない)のシャフトは固いほうが良い一方、フェアウェイウッドは多少撓っていないと不安なので調節したのだが、件のウッデンクリークは中調子であるべき所が、手元調子になってしまったのでその調節に苦労したのはその一例で、

出来上がりを見ていただいたユニバーサルゴルフ社の村田代表から色々と調整の指摘を頂いて、ソールの安定性の調節(全面に真鍮板を張っているので曲げた際の凸凹取り)、シャフトのグリップ下と差込口の上の余分な撓りを抑えるのは何とかなったが、グリップの太さが問題で苦悩する事になったのである。

というのも筆者の手は掌から見て、中指の先から手の付け根の一本目のシワまで20㎝を越え、横幅もあるのだが、掌が薄く指が長い(割合だと掌5.6、指4.4位)ので、シックリ来るグリップは可也太いか非常に細い物で、更にテーパーがグリップ巻き始めが段のようになって、以降は平行に近いくらい緩やかでないといけないのだ。

当初アイアンの巻き直しと共に太くしてみたが、シャフトの削りが芳しくなかったのか、しっくりこず、巻いては剥がし太さを調節して巻き直すのだが(その度に接着剤でウェスの下巻を固め,革を強力両面テープで巻いた後板で転がして圧着させるのだ)、直してみて当初はよくても段々気持ち悪くなってきて(筆者が強迫障害持ちであるのも関係しているのだろう)何回もやり直して、酷いときには夜中じゅうやっていた時があった。

どうもシャフト本体の削りのゆがみが原因らしく(僅かに横向きの楕円になっていた)、その調節と、下巻きをだいぶ省きタコ糸のバックラインを入れて、ようやく落ち着いたのである。

なお、バフィスプーンはウッデンクリークが破損した際のスペアで、パターはグリーンに合わせてどちらか決める予定であった。

※写真

ウッデンクリークと35°スプーンの白木ヘッドから、シャフト接着直前、完成(『Choice』掲載の写真を使用)、Choice以外のものは後日送ります

出発及び到着一日目

出発の25日、早めに夕食を食べてキャリアーと手提げバッグを持って、9時頃地元駅から列車に乗り込み、午後10:00には新宿バスターミナルに着いたのだが、11:00発のバスが始発の東京駅で故障を起こして40分の遅れ、幸先悪さに不安を覚えるが無事出発をした。

バスは三席シートで、座るも全く寝られず、カーテンの隙間から『今どこにいるのだろう?』と覗いては慣れぬ風景を眺め、(明け方琵琶湖の側を通ったようだ)京都~千里ニュータウン間でうつらうつらした位であったが(かの太陽の塔が高速の料金所側を向いていたとは思わなんだ)、三宮には出発前の遅れが在ったのに、予定よりも20分ほど早くに着き意外に思う。

着いてからは予約していた駅傍のホテルに荷物を預かってもらい、時間を潰す為にあちこちを歩き回る事にしたのだが、三多摩の芋坊たる筆者にとって大阪以西は初めてであったので神戸というのは不思議な街に感じた。

というのもバスから眺めた尼崎~三宮間は小田原熱海沼津のような感じであり、旧居留区の周りは東京横浜の中央部をさらに洗練させたかのような雰囲気であり、かと思えば阪急・JRのガード下は東京駅~神田駅間のガード下のような独特の雰囲気があり、狭いながらも中華街は馴染のある横浜の“それ”とよく似ており、そして裏手には六甲山である。

(また最終日広野のミュージアムに行く際に列車で通った三木までの間が甲信上州地方の山間の鉄道のような風景であった)

兎に角狭い範囲にいろんな風景があるのが第一の印象であった。

前日の夕食が早かった為にひどい空腹状況であったので、荷物を預けた後、何か食べようと元町の中華街に歩いていくのだが、三ノ宮に着いたのが午前9:10台が故に、まだお店も準備中というなか、中々観光では普段見れない光景を見る。

東側の門から入り周辺を歩き回るが、とある店頭のごみがイノシシにやられたのか“ぶちまけた”という表現がぴったりな状況でひどく驚く。(また、中華街の北側にあるアーケードの一角が彼らのためかオシッコ臭かったのをお店の人が掃除されていたのを見た)そんな状況であったので、ドウシタものかと周囲を少しぐるぐるした後、ちょうど開いていた有名な肉饅頭の店老祥記で肉饅頭を食べる。のだが、お腹が空き過ぎて食べた実感がなく、その後持ってきたお茶菓子やおにぎりその他を詰め込むようなヘンテコな食事をしてしまい、以降この旅における食事のとり方がヘンテコになり続け、帰郷後しばらく胃酸過多に悩むことになってしまった。

食べた後は時間をつぶすため市内をグルグル回り、旧居留地にある市の博物館に行ってみるが改修のため一年近い閉館で驚く、そのあとは元町のアーケードや三ノ宮元町間のビル内のアーケードやそごうを回り、駅地下の書店で時間を潰したのち、六甲駅からバスでケーブル乗り場に行く。

出発前から当初駅からケーブル乗り場まで歩くプランを考えたものの、航空写真で調べなおして見て危ないと感じ、そして現地に行ってバスでよかったと再認識した。

と言うのも出発前、国立大研究員氏が『新神戸から上がって尾根伝いに歩いて神戸GC周辺まで30分くらいですよ』と言っていたが、平坦な直線ならまだしも、バスは山へつづら折れのドライヴウェイを登って行くのだ!!!!!

もっとも氏は重い本を沢山入れた袋を両手に持って更にノートPCを入れたコレマタ重い鞄を肩に掛けて、徒歩で坂を上って下って数キロ移動するのを日常的にやっている人だから、彼ならばあり得るやもしれない………

※後日この件を書いていいか氏に尋ねたら、ドライヴウェイから上がるルートか新神戸駅には山上行のバスがある事と(こちらは当日の時間のかかり方を考えるとどうであったか)、直通の道がある元町から摩耶山経由ならば、自分の足で1時間弱で余裕ですよ。と言われていた

バスは坂を上がってカーブし、また坂を上がって住宅地・神戸大学のキャンパス・団地を通り過ぎ、どん詰まりの終点の目の前がケーブル駅であった。

小さな、そして奥に長い駅舎ではなぜかヨーデルがBGMで掛かっていたが、どうやらスイスに関係しているフェアを山上の各施設で行っていたらしい

 往復チケットを買って待つこと暫し、“10分ほどして”到着したケーブルカーに乗り込んで山上へと向かったのである

ケーブルカーは窓ありと吹き通し席で分けられており、10分ほどで六甲山上駅に到着する。

筆者は吹き通し席に座り、道中周りを見回すと、肝心の神戸の街並みは霞と座っている位置・屋根の角度の関係であまり見えなかったが、左右の谷間か丁度八重桜が満開であり(これは帰りに気づいた)、また桜に後を託したのか椿の花の散り時であったらしく谷間に花がたくさん落ちている様子を伺い見た。

それ以外は変わったこともなく、山上のケーブル駅に着く。駅舎にはツバメが出入りをしており、翌日はお迎えを待っている間『最近地元では見ていないなあ』と眺めていたが、この日はあまり気に留めず、駅舎横の展望台で神戸・大阪の街を見やるなどお上りさんのような事もしたが、ひと段落してどのようにクラブハウスに向かうのが良か。と思案した。

駅前の地図を見て、当初の予定の左手周りでコースに行くよりも近い、右手周りからクラブハウスの真南側の坂を上るルートでクラブへ向かった。

確かに帰りの足取りを考えるに距離は短かった。しかし、コンクリートや石畳の道とはいえ傾斜の大きい完全なハイキング用の道でヘロヘロになったのである…

(後で考えるとこの道順は下がって上がる勾配の大きなルートで、左回りのほうが距離はあるが勾配はかなり緩やかであったのだ)

山沿いの車道を通ってから、T字路の正面にある別荘の脇を登っていき、途中下ってくるハイカーの方々に会ったが、黒のウールのズボンに麻のフィールドジャケット、ソフト帽の筆者を見て何と思ったか⁇

傾斜のある道を(自分にとっては)だいぶ上がると笹藪を開いた道に出て、後から考えれば短い距離であったが、自分はどこを通っているのだ!?と不安になってしまう。しかし、すぐ左手にコースの(1番ホールのグリーン右下)フェンスに出会い、藪を抜けてすぐの坂道を上がっていくと、右手にあの平屋のクラブハウスと18番グリーンが見えたのである。

おお、着いたぞ。と見やると、思ったより小さく見える。そしてちょうど坂の上の方にクラブの職員の方が居られたので、説明をして中に入れて頂いた。

※写真 ケーブル駅ホーム100-1380、展望台100-1381~83、南ルートの道100-1388-89

神戸GC初訪問と準備

あの有名な赤壁のクラブハウスは入り口が小さく、右横にシューズ用のブラシ台(ブラシを掛ける台でなく、台がブラシなのだ)があり、ハウス内に入ると左手がバッグ置き場、右手が事務所の受付で村役場みたいな感じであり、入口から直進すれば男性用ロッカー、このロッカーとクラブ置き場との間にトイレおよび洗面所・お風呂があるのを見た。

また食堂とロッカー室の間にバーカウンターがあり、ここにもグルームが使った山道の整備道具や、土地契約の書類、写真などが飾られている(これは大会後に撮影させてもらった)

事務所におられる池戸秀行支配人、神谷秀和副支配人らに挨拶をし、ブルース氏の手伝いで先に上がった旨を伝え、神谷氏がバッグ置き場にある届いた品物のを示してくれた。

自分のクラブとシューズの入った段ボール箱(24日に送ったのだが25日が大雨で心配であったが無事であった、有難うクロネコヤマト)、そしてブルース氏から頼まれていた荷物の内、賞品やティーセット・小物等は届いていたのだが、クラブが入ったケースがなんと四つの内の一つしか着いていなかったのである。

ここからが待つ時間が長かったのと、その間どのように過ごしていたかというと、クラブが届いていないことを知る前からになるが。

池戸神谷ご両氏やグリーン委員の千佐氏ご夫妻らと歴史関係で話し込み、クラブハウス内を案内していただいた。

ホールや食堂の壁には競技優勝者のネームボードや、ゴルフ史の本に出てくる有名な写真たちが飾られており、トロフィ棚(写真を撮り忘れてしまった‼)やクラブ創立者のA.H・グルームの胸像、1903年のクラブ開場式及び後の記念式典の始球式ボールを見、隣の食堂の暖炉(4月下旬なのにストーブが掛かっていた‼)の上にはグルームが使っていた、クリークとニブリック(トム・スチュアート製)が掛けられていた。これらの写真をとって構わないとの思し召しなので、せっせとシャッターを押す

また、話をしていると、今日練習ラウンドをしている参加者がいるよ、と聞き、今大会の優勝候補である檜杖幸作氏や各イベントで顔を合わされている中山浩美氏らがちょうど18番をプレーされているのが見えた。

神戸GCは葉書申し込み以外ではメンバー同伴か紹介がないと基本プレーが出来ない(この後その例となる電話対応を拝見した)が、今回両氏の申し込みが折り目正しいものであったので許可を頂いたそうだ)

上がられてきた後にいろいろと話をするが、檜杖氏は60台で廻られたそうで、『やはり氏が優勝候補だろうな』と感心する、またご両人から、どうやって来ているのか尋ねられたので、三宮のホテルに泊まって、六甲駅からバスでケーブル乗り場経由で来ている。と話すと、有難いことに試合当日ケーブルカーの終点である山上駅に、車で迎えに来て頂けることになった。

 両氏と別れた後から、レンタルクラブの準備のために神谷副支配人に専用キャディバッグを倉庫から出してもらい、クラブの入ったボックス1を開けた。

※神戸GCではコースの環境やキャディさんが2バッグで担ぐことから負担を減らすべく使用クラブを10本以内にすることが求められそれを専用バッグに入れるのである

とりあえず筆者は後でセットを作りやすいように、クラブをウッド・ミッドアイアン・マッシー・マッシーニブリック・ニブリック・パター各種に分けて、バッグに詰め込んでいたが、何しろブルース氏と残りのクラブが来ないのだ、心配した神戸GC側がクロネコヤマトに連絡して下さったが、何と4時過ぎか明日になる(!?)と言われ、更に筆者がブルース氏に数度連絡するも新幹線に乗っているらしく、3時頃に繋がった際、氏一行は京都に着いた。との事であったので、もう待つ事しかできない。

クラブを詰め終えて待っている間、池戸・神谷ご両人と神戸GCの歴史関係やゴルフ史料についての話や、ゴルフ博物館職員になる為の学芸員の成り方等々話をしていたが(池戸氏からは『オタクさん』の称号を得た)、手持無沙汰な筆者のために神谷氏から『練習しても良いよ』との思し召し。

それでは、とロッカーを借り(二段重ねで真鍮金具の鍵なし木製ロッカー)、シューズを履き替え、パター二本とニブリックを持ってクラブハウス下18番グリーンの(ホールから見て)奥に当たる練習グリーンに降り立った。

まずパットの練習をするが、グリーンはベント芝であるがチクチクするような毛羽立った感触で、結構しっかり打たねばならず、軽いパーク型よりも重いバークP-2の方を使うことにする。グリーン周りは洋芝・野芝・雀の帷子が混在している。ラフの中にボールを放りこんでニブリックのランナップショット、これは手先で操る打ち方が良かった。

ちょこちょこ練習をしていたが、クラブハウスから見て練習グリーンの奥に在るもう一つの練習スペース(グリーン・バンカー・鳥かご×2)があるのに気づきバンカーショットの練習もした。

檜杖氏と池戸支配人の会話からバンカーがなかなか厄介であるという話を聞いていたが、確かにそうで、『シットリふわふわ』と表現すべき感触であった。こういうのはケーキ類では嬉しいが、バンカーとしては(特にバウンスのないニブリックで相手するには)嫌になる難物である。

ボールを落として幾らか打ってみると、軽く打つとか降りぬくのではなく必ずピシャリと切るようにクラブを捌かねば上手く出てくれなかった(幸い試合当日はバンカーに入れなかった)

この様なショットをするとグリーンに砂の塊が散るので、落ちていた松の枝で砂を掃いていたが、この練習グリーンの横にはつがいの雉がヒョコヒョコ歩いていたので、カメラで撮影した。

※写真

ハウス内の競技記録ボード100-1390-97、始球式ボール、100-1399、グルーム胸像100-1417、グルームの資料100-1487-89、練習グリーン100-1401、パター二本とニブリック100-1402、キジ100-1403

改めての準備とトロフィー

しばらく練習をしていたが矢張りクラブがいつ来るか気になるもので、途中車の音でクラブハウスに戻るなどしたが、中々来ず、貸クラブが着いたのは4時を少々過ぎた頃であった(その間バーテンさんからプレー後の食事会の献立の確認相談を受け、メモを取ったけれども、私は片付け要員で御座います…)

そしてまたせっせと荷下ろしをして各種を分けて詰めていたら、ようやくブルース氏と御友人の藤田氏が到着した。時間を見ると4時半位になって居た。

なんでも新神戸駅からのタクシーが神戸GCへの行き方を知らず、とんでもない所へ行きそうになったのだという‼?

クラブの詰め方についてブルース氏らとの相談

筆者『各種別に詰めたこのバッグから当日各々選んで詰めてもらいましょうよ』

 ブ氏『いや、それだと時間が掛るのと、番手が判らない方が(そう、殆どがニックネームのみの刻印なのだ!)困るだろうから1セットずつ作ろう』

3人で何とか各キャディバッグに40セット(1セット6本)を入れ、うち三つはロフトの多い易しいクラブで作る女性用セットを用意した。

ひと段落ついたらクラブ以外の備品の準備に取り掛かる。その中で今回大会に使うトロフィを出すのだが、大会前通常の銀製品や海外で使われたりしているクラブヘッドを乗せた物(毎年春秋に行う軽井沢で行うヒッコリーイベント阿川佐和子杯はこれにあたる)等を使うのではと考えていたが、出発の少し前にブルース氏と大会準備等を話していた際に氏から

『トロフィとして、プレジデントパター(オックスフォード・ケンブリッジ両大学ゴルフ部関係者で行う競技会)のような感じでクラブに優勝者の名前を刻んだ銀のベルトに固定したフェザリーボール(複製)を取り付けるのを思いついたのだが、どうであろうか?』

という案を告げられた。

筆者としても下手なカップよりもずっと良いと思うので賛同し、ブルース氏は、

『その際に使うクラブは神戸GC創立と同じ年代に作られたクラブにしてみるよ』

と言われていたが、届いたそれを見るとモット良いものであった。

破れているとはいえ厚手の下巻に羊のバックスキンをまいたグリップ、太めの非ヒッコリー(トネリコ?)のシャフト、そして差込口にシャフトを固定する刻み目(ナーリング)がついた大ぶりな造りのホーゼルとヘッド。

バックフェースにはスコットランド・イーストロジアンの競馬場コースである、マッスルバラの名と、消えかかっているが初代全英OP勝者であるウィリー・パークとおぼしき名が楕円形に刻印されている

形状からおそらく1860~80年代の作だと思われ、構えてみると全体的に大振りだがよいヘッド形状である。(準備に追われ写真が撮れず)

なんでもトロフィーとしてだけでなくこれで始球式を行うという。始球式を担当するのは大阪ゴルフ倶楽部役員の松本氏である事を聞く(氏は今回プレーができなかったそうだ)

その他、横断幕や使用ボール(1スリーヴづつで10ダース位はあった)を用意して(前者は刺す支柱が良いのがなく神谷氏を巻き込んで思案することになったが)無事一段落ついたのが6時近くであった。

取り合えず筆者は先に帰る事になるのであるが、帰路道を間違えて2番ホールのフェンス脇の廃道に行ってしまい、崖崩れの地点で引き返すことになり、行きに通った道に戻るも(実際には随分と短いことを実感したが)、迷ったことによる時間のロスにより僅差でケーブルカーに乗り遅れてしまった(1時間に三本しか出ないのだ‼)

何とか戻った後はホテルにチェックインして、夕食を採りに線路沿いを歩いて元町まで行ったので、中華街に顔を出すと酷く閑散としており、また店頭の呼び込みが1mおき位にあるので、閉口して元町駅南口のウナギの寝床のような餃子屋(老舗らしい)で餃子だけ食べて口に酷いやけどを負い、またもおにぎりを買う変てこな食事をとってしまった。

※なお中華街は帰還日の土曜日には異様に混んでいたので随分と落差が激しいようだ。

戻った後はTOKYO山口氏の記者会見を見ながらホテルで日記を書き、レコード収集仲間の蕎麦屋の若旦那と電話をしているうちに11時を過ぎたのでさっさと寝るのである。

※写真

準備して並べたクラブ100-1405、帰り道一番グリーン奥側の道からとった大阪の街

100-1406-09、

大会当日

翌日は6時前に起きたのだが慢性的な寝不足であったのか、昨日餃子屋で呑んだ紹興酒(1ショット¥250)が残っていたのか少し頭が重い、いつも履いている濃紺のニッカーズと紺の長靴下を履いて(靴下は括らず)黒シャツに赤ネクタイ、茶のチョッキ、そしてフィールドジャケットとソフト帽に着替える。

そして持っていく食事の準備をして三ノ宮から六甲へ、7時13分発のバスで六甲ケーブルの駅に向かい、待つ間おにぎりをかじって7時40分発の始発に乗り、山上駅へ。

8時に前日お願いをした檜杖・中山ご両人にお車で迎えに来てもらった(お二人は山上のホテルに泊まられたグループであったので駅まで廻って来て下さった)

コースまでは西回りで向かうのだが、前日筆者が廻った南側のルートとは風景がまた違っていた。非常に狭い道と木立に囲まれた、旧軽の別荘地のような雰囲気で『どちらも保養地であったからなぁ』と考えているうちにクラブの駐車場にたどり着いた。

クラブハウスに入ると、もう何人も来られている。また、その中には雑誌のゴルフダイジェスト『Choice』と毎日新聞関西支局の方が取材に来られていた。

筆者は参加手続きや、いつも通り参加の方のクラブ選びの相談に乗り説明をして回るのだが、どんな感じであったかを記してみると。

まず、今回の参加者各位を見ると自身のクラブを持参した方が結構いた。タッド・モアやSt.アンドリュースCo.のクラブのほか、オリジナルクラブを持たれていた方もちらほら。

その中で、フェースからバックフェースにかけて真鍮のピンの入ったシカゴのR.H・バーク社のアイアンセットを持たれている方がおり、ミッドアイアンのシャフトの割れ修理跡が大丈夫かと相談を受けた。

捻じってみて開かなかったので『たぶん大丈夫だがご注意はされてください』と伝える。

プレー後ウッドを見せていただいたが1920年代のライト&ディソン(ボストンの運動用具店でスポルディングの傘下)セットで、きれいにレストアされていて正直欲しいレベルのクラブであった

この方が後々快挙を成し遂げるのを、この時筆者は思いもよらなかった。

廊下からホールを行ったり来たりしている間に、数度ヒッコリーイベントでお会いしているアンドリュー・トムソン氏(『Choice』2018年夏・秋号で氏の紀行文を読まれた方も居られるだろう)と再会、年明けのころ国会図書館で氏のご尊父であるピーター・トムソン(この文の執筆中に逝去された)の極東ツアーの紀行文を読んだ際に、文中に

『息子が、パパが今年は(全英OPの?)トロフィを獲って居ないので学校に持っていけなかった。と泣いた』

話があり、アンドリュー氏のことかしら。と思っていたので訪ねてみよう。とコピーを取ったのだが持ってき忘れたので、その事共々話したら『そんな事もありましたね』と言われていた。

※改めて記事を確認すると、ピーター・トムソンがツアー中、あるトーナメントの優勝トロフィを運営側に預かってもらって帰国したら、学校に持っていくのを楽しみにしていた息子さんがガッカリしてベソをかいた。という内容であった。

そういった事がありながら、クラブハウスで参加費の支払いとスコアカードの基準打数の書き直しを行う。

試合方式はアンダーハンディになり、ハンディキャップはオフィシャル・倶楽部等持っている数値にあわせてヒッコリー用(プロ及びスクラッチ以上は0だが、それ以外はハンディに合わせた数を+する形になる)を振り分ける形になっているのだが、開催前に筆者はハンディを持つ機会がなかったのでどうしたものか相談したら、いつものイベントのスコアから考え(片道50台)、ヒッコリー用ハンディは24になった。

また当初イベントではハンディの多い者たちはステーブルフォード(ポイントターニー)でプレーする案があったのだが、筆者をはじめ『神戸でプレーするのならばスコアを付けたい』という人が多かったので今回は全員アンダーハンディ方式になったのである。

ひとまず済んだ後、食堂の方に向かう。というのも前日ブルース氏が賞品のウィスキーの内の一本はスタート前に食堂で飲める様にしており、行ってみるとバーテンさんが水割りを作っており、聞し召す方々もちらほら。筆者は空のお茶のボトル缶に『気付け薬』として入れて、後でチビチビ舐めていた。

筆者は普段お酒を殆ど飲まないが(飲めないわけでなく飲む機会が余りない)軽井沢のイベントで紅茶に入れられることから、更に車を持たない身の特権として⁉こう言ったイベントのスタート前に『気付け薬』として舐める習慣ができていた。

※写真

当日のケーブルカーからの神戸100-1410-14、ロッカー100-1415-16、受付100-1418

 “気付け薬”余聞

『酒精の息をさせながらのプレーは不品行だ』とおっしゃる方が居られるであろうが、海外のイベントでもプレー前に一杯。というのは行われているので、ご容赦を。

そしてこの文を書いている際に、学生時代に二代目のJGAミュージアム委員参与であった故藤岡三樹臣氏から伺った話を思い出した

 氏が商社マンとしてロンドンに在中していた時代、ウォルトンヒースGC(ジェームス・ブレードが所属プロをしていた事で有名な倶楽部)で日本人会員と英国人会員の対抗戦が行われた際、まずスタート前に皆で昼食会を行うのだが、その際英国人会員たちはどんどんお酒を聞し召し日本人会員たちもそれに付き合う。

結果ボトルからかなりの量が空けられ、ティオフの際、我々日本人はフニャフニャなのに彼らはケロリとしていた。という内容であった……待て、これだと日本人が真似すると宜しくないということか?しかし筆者の場合は『気付け薬』が有った方が良いプレーができるのだ

 また大会翌月の軽井沢のイベントで檜杖氏とワールドヒッコリーOPの開催時期とその寒さについて話していたら、2016年に参加された際吹き抜けのリンクスは酷く寒くて、主催者がウィスキーの小瓶を参加者に配っていて、『薬』がよく廻ってフラフラしている人も出たとか、檜杖氏ら日本人選手が飲まないでいたら、『飲まないならば頂戴』と言われたというのを聞き、1913年の全米OPの2日目(第三・最終R)は酷い雨風であったがこの時に『気付け薬』の小瓶が配られた。という話が50年後参加者たちの回想記事に出ていたのを思い出したのはまた別の話。

練習をしようと練習グリーンと鳥籠に向かおうとし、まずグリーンで練習を始めようとすると、全員へのクラブハウスでの説明の呼び出しがかかり、戻ることになる。

ホールに一同が集まり、ブルース氏のクラブやプレーの説明、檜杖氏もスィングの急な切り返しによるトウダウンについて語られ、筆者も当時のパターはロフトが大きいのでそれに対応した打ち方をせねば成らないことを手持ちのバークパター(このパターは後日ロフトを測ったらリアルロフトで12°あった)で示しながら話した。

 というのも今までヒッコリーイベントに参加した人たちのパットを見ていると、今のパターのように左足寄りにボールを置いているのでロフトのあるパターでは煽り打ちとなり、ボールがポコンと跳ねてしまうのを今まで何度も見ている為で、当時のロフトの多いパターは右足寄りにおいてアイアンのように押し込む打ち方のほうがいいパットが出来るのだ。

そのあと皆でもう一度クラブ選択をして1番ティへ。

ここで各位と話したり何たりで記憶が前後してしまうが、筆者はクラブハウスと1番ティの間を三~四度行ったり来たりをしてしまう、理由は自分のクラブが運ばれていない為であったり、相談を受けたりであったが、以前Cuthbertのバイトで、シャフト交換をしたアイアンの持ち主に、具合はどうかと尋ねたら、以前のものよりもずっと良い。と言われて嬉しかったり、『Choice』の編集長さんから取材を受けたり(GD内でも筆者のことが知られてきているようなので『日干しにならないようお仕事くだされ』と冗談3割・切実7割で頼んだ)

このあと、1番ティ奥に備え付けたティーセットで少し缶の中身を足そうとした際、ブルース氏が『薬』の原液を入れてくれたのだが、ちょっと多めに入ってしまい、飲むと異様に濃い…備え付けの大ヤカンから紅茶を足して薄める。

筆者のフォーム

 行ったり来たりしている間に肩慣らしで(練習ができなかったので)バフィスプーンで素振りをしていたら、それを見ていた方らが筆者のフォームについて色々話していた。内容は聞き取れなかったが、概ね当時のスウィングだと言っていたのであろう。

 昔から筆者のスウィングは肩と腰が大きく回り、左足が大きくヒールアップする。グリップはフィンガースタイルの左親指を外したインターロックで、トップオブスウィングでは左ひじが曲がり気味になり、ウッドのティショットだとクラブヘッドが腰の近くに来る“いかにも”なフォームである。(ついでにアイアンショットはヘッドが腰を過ぎたらフィニッシュの積りで振っている)

 人によってはボロクソに言うだろうが、(事実言われたことがある)これが筆者にとって、身体に無理せず一定の威力のある球を出せるフォームで、逆に現代クラブに良しとされる“アスリートスウィング”ではリズムをつかめずコマ切れのようなショットになるだろうし、第一ガタのある身体を壊すこと請け合いだ。

左ひじについてはバックスウィングで真直ぐ引いて腕をロールしていない為であり、ヒールアップもコントロールを失わないように左足親指に注意を払っている、これでは現代のクラブでミスショットが出るのでは。と言われるだろうが、不思議な事にどの年代のクラブでもミスは同じ球筋になるのだ。

ミスをするときはアドレスでの腕の位置(身体の横に上腕がくっ付きすぎている時か、それを気にして伸ばしすぎている)とバックスウィングで内側に引き込みすぎてしまうのが固定化している、ちなみに今大会でのショットもちょっと腕を伸ばしすぎていたのでティショットが右目に飛んだのだと考察している。

開会式

一度皆でクラブハウス側に戻り、18番グリーン脇でクラブハウスをバックにしての記念撮影が終わり、いよいよ始球式が行われる。

参加者一同が見守る中、松本氏と件のウィリー・パークのアイアンによってしめやかに行われ、そのあと第一組がスタートしていく。

当初メールで送られた組み合わせからの調整により、筆者は最終組の一つ前になったので、スタートする方々の写真を撮ったり、参加者の方々のクラブ相談にを受けているうちに、が、6組目にキャンセルの人が1人出たことによる人数整理(キャディさんの担ぐバッグの調節もかねて)から急遽組み込まれてしまいひどく慌てる。

一緒に回るのは、クラブコレクターの和田さん(前年の千葉のイベントでお会いしていた)、氏はスタート前、現在と過去(1970~90年代?)のニッカーズ事情“売っていないのでズボンを仕立て直して作った話”を力説されていたのが筆者には印象的であった

もう一人の宮應さんは初見の方であったが『本夛さん(シゲモリスの綽名で、ヒッコリーゴルフ界で知られているペインターさん)を知っていますか』と言われたので『はい』というと、なんでもフェイスブック上のお付き合いがあるとか。

筆者は上記のごとく慌ててはいたが、とにかくティの上に立った。

※写真 一番ティに集まる100-1419、始球式100-1421-22、各位のショット100-1423-47のどれか

筆者のプレーと各ホール紹介

各ホールでの筆者の状況を書いてみたい。※はヒッコリーゴルフで同コースを攻める際の私見である。ただ芽吹き時でラフが茂っていない頃にプレーをしたので、事によってはトンデモナイことになるやもしれないルートを紹介していた場合は平にご容赦を。

またご婦人向けの攻略法も男であるがゆえに的を外した物であるやも知れない事を前もってお詫びいたす次第。 なおクラブ選択についてはドライバーやブラッシーのキャリーが男子190~210yd、女子140~160ydを基準として書かせていただいた

一番『Dumpie ダンピィ』170yd Bogey M3 W4

 このホールでホールインワンをしたら倶楽部からグルーム愛飲のウィスキー『ダンピィ』が1ケース贈られることから名前の付いたホール(今回はそういう賞品はなかった)

ティからグリーン手前25yd位までの間が谷になっている(1950年代の改修以前はもと深かったという)ホール。グリーン奥と左側は急傾斜になっており境界フェンスの手前がOBである。

第一組から各プレーヤーのティショットを見ていたが中々乗らない(一番近い人達でもカラーだったと記憶)

そのため距離を考えウッデンクリークかバフィスプーンかとも思ったが、オーバーが怖かったのでドライビングアイアンを軽く打ったが谷間を上がった右手、旗から25yd前後手前の隣のホールとの間に落ちた。なんということだ‼

このホールはニブリックのランナップで乗せるも、いつもながらのパットが巧くいかず5。

※このホールはマッシーで150yd位を打ってグリーン手前に置くか、ミッドアイアンでその地点からのランを予測して転がせて乗せるのがベターであろう。ショットのブレが心配ならば右手前サイドに置くのがよいだろ

ご婦人の場合はヤーデージが同じだがボギー4なので、余裕はあるものの、ショートすると高い打ち上げが必要になるので、ウッドクラブで140~50yd地点に置ければ非常に後がやりやすいだろうし、攻めるルートとしては男子と同じでよいと思う

※写真100-1420、各位のショットの中から一枚

二番『Kobe 神戸』173yd BogeyM3 W4

緩やかな打ち下しのホール、グリーン奥(南)に見える下界の神戸の街々からその名がついたが、今は木が多く生えているので神戸の風景は見えず、むしろティ左横の景色から『大阪』といってもよいかもしれない。筆者はマッシーアイアンで打ってみたらグリーンの右手前横に行ったので、一安心。

しかし同じ位の海抜である軽井沢よりも距離が出ている…同地だと同じように打ってもMaxで160yd位だ。

ティショットゆえか、打ち下ろし故か、はたまた『気付け薬』でほぐれた為か⁇と考えたのだが、後で今回使ったヒッコリー用ボールが、同じ製造元かつ同形だがカバーの硬度が従来よりも高い物であるのに気付いた。多分これが理由であろうか?

とりあえずグリーンにアプローチを乗せて2パットの4

※とにかく左と奥の木立に打ち込む乃至越えないこと、かといってバンカーから右も三番ティに向かって大きな段差になっているので(和田氏はそちらに打ち込んでしまった)、自信のない人はマッシーニブリックか軽めのマッシーショットでグリーン手前に止めてランナップショットが吉であろう。

 ご婦人はロングアイアンかロフトのあるウッドでグリーンの手前に置いてランナップショットで2オンをさせればバーディ3のチャンスもある

※写真

ティ右横からグリーンへ100-1448

三番『Bishop’s 司教さん』182yd BogeyM4 W4

ダラダラの上り坂で、グリーンが斜面を削って造られ、砲台のようになっている(六甲はこのタイプのグリーンが多い)。名前の由来は当時のグリーン(現在より90°北西120数yd先に設置)の先にミッションスクールである(神戸)松陰女学院校長のフォス氏の別荘が在った為という

グリーンの手前に落としたら高いピッチを打たねばならないので、右側の平らそうなライに向かってバフィスプーンで打ったが、少しスライス気味でさらに右に行ってしまったた。そしてティアップをして打ったのになぜかトウ側のリーディングエッヂのニスが大分擦れていた。元々フラットなライ角が故にトウダウンの形でヒットしたのか?

ニブリックのピッチはグリーン右のカラーと傾斜の間に停まり、ランナップショットはルックアップでチョロ、しかし打ち直しの強めの球がそのままカップインして4。

やれやれ一安心。という気持であった。ただ旗竿を抜こうとしたらカップがずり上がりそうになって慌てたのが印象に残っている(17番でもカップがグリーンよりも飛びているのに出くわしたので、同じような目にあった人がいたのだろう)

※グリーンに直接乗せるないし上り角の大きいピッチショットを打つ自信のない場合は、筆者が攻めたような右サイドの傾斜の少ない所へスプーンやウッデンクリークで狙いグリーンを縦に使うか、イチかバチかで、ドライバーやブラッシーでグリーン手間の傾斜にブチ当ててバンクショットを狙うか(失敗すると大変なことになるが)

ご婦人はとにかくロフトのあるウッドクラブで高く上げることを必要とするだろう

無理に2オンさせず3オンでも良としたほうが無理がなくて済むと思う。

※写真

ティからグリーンまでの景色100-1449

四番『Styx 三途の川』185yd BogeyMW4

谷を下りてまた上がる打ち下ろしのホール、元々当初のティの手前に小川があったのでこの名がついたが、後に埋め立てられている事に加え現在は80°強東百数十yd地点にティが新設されている

ここで初めてウッデンクリークを使いグリーン手前に置く、『よしよし悪くないぞ』と喜ぶもその後が芳しくなく6

※ミッドアイアンや、ロフトのあるウッドでグリーン手前の段まで乗せる乃至転がしてオンさせる事ができれば楽だが、できない場合は無理にグリーンへ近づけず、マッシー等の軽いショットで、手前において打ち上げ角が少なくて済むアプローチがベターだろう

ご婦人の場合は距離の出ない方が無理をすると窪地の壁にぶつけてしまうかもしれないので下の平らなライに置いてピッチショットがベターだろう。もしある程度の距離を出せる方ならば上の段にスプーンやブラッシーで男子同様乗せられるだろう。

※写真ティからグリーンへ100-1450

五番『Yokohama 横浜』202yd BogeyMW4

行くのが嫌になる難物ホールで、当時外国人の住む同じ港湾都市としていろいろと張り合っていた横浜の名を付けたという。(名前が付いた当時は根岸競馬場のコースは無かった。また現在の説明ではただ『フレンドリーライバル横浜にちなんで』とある)

ティとグリーンは高度が平行だが下が谷間のホール。筆者は父方の祖父が生粋の濱っ子で根岸のコースと同い年で、同地の競馬場も知っている事などを皆に話し、このホールでどうなるか御覧じませ。とウッデンクリークで打ってみたら、グリーンの右エッジと梅の木?の間の空間に停まる

『濱っ子の血を引いているからよかったのかしら』とご機嫌であったが、なんとそこから4打(3パット)をかけてしまい5。いくらパットが滅茶になり易いとはいえ…やはり難物ホールなのか⁉

※180yd辺りからのグリーンのある段に乗せたいから、ロフトのあるウッドで打つのが吉だろうが、オーバーさせると灌木や木立があるので大変である。ロフトのあるウッドがない場合は、ドライバーかブラッシーで高い死に玉を打つべきか…

ご婦人は上の段に乗せられない場合は無理をせず下の平らなライにおいてピッチショットがベターだろう150ydのドライブに50ydのピッチといった感じか

※写真

グリーン手前から左サイドを向いた風景100-1451

六番『Rokkosan 六甲山』183yd BogeyMW4

神戸GCの中央部に位置するホールの為この名が付く。谷間越えのホール

グリーン奥は木とイノシシ除けの境界フェンス(100年史の写真に写っているよりズット立派な物)がある

グリーンの手前の登り傾斜に白い点(野草の生えているあたり)が見えるのでそこを目標に打ったらピタリと止まった。

近づいてみるとちょうどこの時期は草の芽吹きと冬枯れをした強い草が残っているのでそのように見えたのである(狐の赤飯と呼ばれた蓼の仲間をよく見かけた)

六甲のコースを見ると様々な草が生えており、フェアウェイにしてもベント(少ない)・高麗・野芝・笹のような幅広の葉で、大正~昭和初頭のゴルフ雑誌で鬼芝と表現された物と同一らしい芝、そして度重なる刈込みで矮化した本物の笹が混在しており、人によっては気に入らないであろうが、筆者はこういうターフが大好きなので、このホールの辺りで六甲のコースがすっかり好きになっていた

さて、筆者のプレーは。というと、そこからの斜面を打ち上げるアプローチ及びパットが芳しくなく6を打ってしまった。新しいパターは使いやすいのだが、慣れていないというよりも、グリーンのある場所によって芝の湿り気が全然違ってくるのが要因であったと思う。

というのも高台の吹き曝しのホールでは固く締まっており、水源に近い谷間のホールではかなり湿っていたのだから。

それにこのホールではないが(確か9~10番と記憶)、カップから全方向に傾斜があり、芝目との因果関係はなさそうなのに、なぜかボールが傾斜の影響を全く受けない乃至逆に働くグリーンもあって悩んでしまうこともあった。

※谷を越えで短いと打ち上げる事に成るので、筆者のような攻め方でなく、ロフトのないウッドで坂の傾斜の強いところにぶち当てるか、高い死に玉を打つか、しかしオーバーをすると道を守る木立に当たるか、駐車場。それを超えれば10番グリーンのほうへ行ってしまうので、レイアップとしては左サイドグリーン手前の傾斜の緩やかなところに、ミッドアイアンの高い球で落としピッチ&ランのアプローチか?

ご婦人はキャリーの出る長打者でないとグリーンないしその周りには持っていけないだろう。人によっては谷底からマッシーやマッシーニブリックのフルショットで打ち上げなければならないが、グリーンの奥は先述の通りなので無理せずグリーン左手前においてチップショットで行くべきか

※写真

ティからのホール全景100-1452

7番『Ponds Asinorum 驢馬の“池”』 M260yd Bogey5  W230yd Bogey5

ホールハンディが2の難物ホール、名前は難問で知られた数学者ユークリッドの幾何学公理『驢馬の橋(Pons Asinorum)』をもじったのだという。現在は『難解な池』と称されるが、原題に沿った解釈をすると、“ロバのように足りないオツムでは良いプレーはできないぞ”という人を食ったような意味になる。

ホールは打ち下ろしなのだが途中に大きなマウンドが在るのと左ドッグレッグかつ(左側から見渡せた開場~戦前期と違い)木立が帯状の壁になっているので、全景が見えないブラインドホールであり。そのためティとグリーン右奥にプレーが終わったことを示すシグナルランプが置かれている。

このホールではキャディさんが先にマウンドに行ってフォアキャディをしてくれる。マウンドの右に行くと八番のフェアウェイとの間の谷間に転がり、左に行くと池と藪でOBになる

和田さんはマウンドに置き、宮應さんはマウンドを超えてグリーンのそばに持っていくことにした。ティに立った時なぜか筆者は右下の貯水池を左側にあるはずの有名な池に連想させていた。がそいつはティからは全く見えず、どこに在るかが判らないのだ‼

そのためか池について全く気にならず、筆者もマウンド超えで攻め、カーブの右寄りを狙ったショットはうまくいきセーフの声を聴く。

マウンド越えをした面々はコース左側のマウンドの下に当たる白い採石が敷かれた小道を通るのだが、途中先行した組の人が使ったらしいボールが鎮座していた。

Bの字が書いてあったが、何処から打ってきたのか。七番はコース北西の端にあたり、殺人的なスライスで隣の八番から打ち込んだか、このホールで引っ掛けショットを打ったくらいしか考えられない。

なぜOBでないのに置いていったのか、マウンドと小道の間には灌木が隔てるように生えているためだろうか。少なくとも一組先のボールでないようなので、我々は回収してキャディさんに預けることにした。

ボールはグリーン右手前にあり、少し段になっているグリーンへニブリックで打つ、グリーンのある段に上って、ほかの方のプレーを見る為に、グリーン手前側に振り返って『ウヘェ…』と悲鳴を上げそうになった。

グリーン左手前のすぐ横に(フェンスがあるとはいえ)大きな池が見えたのだ。「コイツがあの池か…‼」と、『見えなきゃ怖くない』を意味する盲人と蛇の諺を時この時ほど強く考えたことが人生であったろうか

このホールはパットが巧くいき4で上がれた。

※OBラインの外かつ見えないとはいえ左側に二つの大きな池があるので、無理に左サイドを狙おうとはせず、スプーンかブラッシーで200yd位の無理のないドライヴを打つとよいだろう。

ティッショトを打つ前にグリーン右奥にあるランプから狙う位置を確認したほうが良い

マウンドを越した場合グリーンが少し上がっているので二打目はピッチになる

ご婦人の場合、キャリーで150ydを確実に出せればマウンド越えができるが、足りずに転がり落ちる際にラフに引っかかってしまうと難儀するので、不安ならばマウンドにマッシー等で置いて2打目をグリーン右サイドなどアプローチのし易い所へ打ち、3打目勝負でよいと思う。そのルートでもボギーの5やバーディ4が出せる可能性は高い

※写真

ティ前のマウンドに前方確認として立つキャディさん100-1453-54

グリーン右端から左手前を見やる、奥のフェンスの先が“驢馬の池” 100-1455-56

八番『Excelsior より高く』 M206yd Bogey4  W163yd Bogey4

打ち上げホールのパー4緩やかな小山に向かって打ち上げるように見えるホールだが、グリーンは手前のマウンドより、さらに高い位置にある、名前もここから来たのだろう。

オナーをとった筆者はそれがよくわからずに、攻めるにあたりセンターラインから左の間を狙うのを怖がり、フラットな右側にウッデンクリークで打って大体うまく置くことができた。のだが、

二打目の地点に来て失敗であったのが解った、この位置からだと急激な打ち上げで、しかもグリーンはセンターラインから左側では斜めになるのに対し、幅狭になるのだ

ニブリックで思い切り打ったボールは旗に向かっていったがオーバーしたような気配。奥はすぐOBなのだ、キャディさんの大丈夫ですという言葉から、探しに行くのだが見当たらないどうやらOBのようだ、暫定球を打たずに上がったのは痛かった。

焦って打った位置に戻ろうとすると、和田さんの『危ない危ない』との声。目の前を見るとボールが転がってきた。

丁度後ろの組がティショットを打ち出したところで、当たりに行くような形になってしまったのだ(後で後ろの組の方々に謝ると、向こうも魂消たそうだ)

これは急がなければ。と慌て、打ち直しのためボールをプレースしてもう一度ニブリックで打つもグリーン手前の段に落ち、何とか載せてパットも3つとメタメタの8(この一連の動きを覚えておいていただきたい)

※このホールでは筆者のような攻め方、右サイドの平らなところを攻めると距離のある尚且つ狭い範囲ですぐ落ちる、距離感がシビアでロブのようなピッチショットが必要となる。

センターラインから左サイドに打てば2打目以降でグリーンを縦に使える

1オンは狙わないほうが良い、もし行うとするならば、ロフトのあるウッドクラブのフルショットか、坂に当てて勢いを殺しながらランで載せる方法であろう

 ご婦人はティの位置の関係で男性よりもグリーンへのルートが絞りやすいが、フックに注意と距離が足りないと目の前のラフのあるマウンドにぶつけてしまう可能性あり

 とにかくこのホールはブラインドとなるので二打目が怪しかったら即暫定球を打つべきである

※写真

ティからの全景100-1457、9番ティから見たグリーン(パットは後ろの組)100-1459

九番『Kuban 九番』149yd BogeyM3 W4

名前の意味もズバリそのままのホール。ティは八番グリーンのすぐ横にあり振り返れば後ろの組がパットをしていた。

ホールは浅い谷を越えるホールで、スペードマッシーでのティショットを右に外してしまい、枯れ草色の中、行方不明になったように見えたがグリーン右のバンカーのそばに鎮座しており助かったが、前のホールでのことが尾を引いたのか6を打ってしまう

※グリーンの手前に2つバンカーがあるので気になる人は(ティからは灌木とマウンドで見えにくいが)左のバンカー横からのグリーン左手前~右奥にかけての横のラインに向かってマッシーのフルショットをすればよいと思う

ご婦人はロフトのあるウッドかロングアイアンでグリーン左手前~左横を狙うのが良だろう。右のスロープや手前のマウンドに掴まらないように‼

※写真

ティからの全景100-1458

十番『The Boundary 境界線』155yd Bogey4

神戸GCではホールのレイアウトの関係で十・十一番間にクラブハウスがある形になっているので、ここで一区切りになっている。名前はインコースに入る為なのか、それとも先述の為か。

距離の短さから和田さんは『ここがボギー4は易しくないか』と言われていたが、確かに割り出した筆者もそう感じた、しかしバックティからの換算で行ったのに、当日フロントティとなったのでニンともカンとも、しかしこの短さは現地に行っていない者が、算出を行うという事の拙さを表すものであろう。

ホールはグリーンの手前が浅い窪地(といっても3m位の深さはある)で、宮應さんが落としてしまった(氏はアウトが42と良いプレーであったがインに入り苦戦されて仕舞った)グリーンまでの道中、氏のボールを見に行くと、窪地の底には矮化したスミレがたくさん咲いており。宮應さんはその中でのショットをする形となっていた。

 筆者のショットは窪地は越えたのだが、アプローチやパットがここでも巧くいかず6を打ってしまった

※右から左にかけて手前に向かって斜めに走る窪地を超えるホールである。

グリーン三方をバンカーが守っているので左右には逃げられない135ydは在れば窪地を越えるので恐れずにマッシーを振りぬけ‼というしかない。

 ご婦人はティショットでグリーンオンないしグリーン手前に置くことができれば最良だが、難しければ左サイドの安全地帯か、窪地の手前にマッシー等で刻んでピッチショットだろう

※写真

ティからの全景100-1460、グリーン手前窪地に群生するスミレ100-1461

~休憩~

ホールアウト後グリーンの左横のところに東屋と11番ティがありこのままプレーをするかクラブハウスで休憩をするか選んでか出され。とキャディさん和田さんはアップダウンに疲れてしまったので(氏は72歳であったのだ)、そして筆者は

出発前から名物のカレーを食べてくるように言われていたので休憩しましょうと話し、宮應さんも賛成。

クラブを防御フェンスに立てかけて、さて行きましょう。と言っているあたりで後ろから『ウワァァァァ』と歓声が上がったが、我々はよく解らず筆者などは「さぁカレーが待っている」などと言っていたのだ。

クラブハウスの食堂に行くとブルース氏がいた、ラウンド後にどうしたのか尋ねるとスコア集計等で忙しくなるので、自分は途中で切り上げたのだという。

食事では噂のカレーを頼んだが、これは牛のモモ肉かスネ肉をよく煮込んだいかにも『上等な』カレーで在った。

一さじ食べてから写真を撮り忘れたことに気づいたのは、プレーで緊張してテンションがオカシかったのだろう。

 少しして後ろの組がやってきたので先ほどの件を謝ると共に、先ほどの歓声が、スタート前にクラブ修理跡の相談を受けた国江仙嗣氏のホールインワンであったのを聞く。

食事のあと11番ティに向かうのだが、ここ数日の寝不足ゆえか、それとともに食事で胃袋が膨れてしまったことも関係しているのだろう。休憩以降、プレー中なのに10番以前のホールの記憶が印象に残ったこと以外急速に曖昧になってしまったのだ。

※写真

名物のカレー100-1462

折り返し

十一番『Doctor’s Nob ソニクラフト先生の頭』180yd BogeyMW4

神戸GCを代表する名物ホールグリーンの手前に大きなマウンドがあり、その形状が神戸GC初代会長のT.C・ソニクラフト医師の頭のようなのでこの名がついた

(西村貫一曰く、ソニクラフト医師が新顔が来るたびに、滞在していたグルームの別荘から近く見えるのに実際は遠い岩山の天狗塚に連れて行ったので、そこにこの名が付いて、コースのもそちらからきていると『日本のゴルフ史』に書いている)

ここもキャディさん(交代していたのに13番まで気づかなかった…)が先行し、マウンドの上に立ってフォアキャディを務める。

宮應さんは、ティショットを二度ほど引っ掛けてOBをされてからの打ち直しが非常にうまくいってマウンドを越えていった。和田さんはマウンドのところで止められていた

筆者もマウンドをうまく越えたのだが、マウンドを登り降りていくところで「アレ!??」と思わず声に出てしまった。

倶楽部史のグラビアなどではマウンドからグリーンまで少し距離があるようなホールに見えたのだがマウンドを超えたらすぐ真下にグリーンがあった。七番と勘違いをしたのか、写真家の魔法に囚われたのか…

筆者のボールはグリーン右の木の手前にあり、ニブリックのランナップショットで1パットの3、ボギー換算ではバーディをとったのである

このホールはグリーン面が見えないブラインドホールなので直接グリーンを狙ったショットが左に行くと恐ろしいことになるのを十二番ティで体験するのであった。

※ロフトのあるウッドかロングアイアンで160~170ydのキャリーを打てればグリーン周辺にボールを置くことができるだろう。中途半端にマウンドの下り坂でボールが停まってしまえば凄い右足下がりのライからのアプローチになる、それならばオーバーさせるのもよいだろうが正面では15番グリーンに、左に曲げれば、次のホールの紹介で筆者らが体験した様な目に合う。

 ご婦人はティショットをマウンドの上に置いて、下のグリーンめがけて打ち下ろす距離感の難しいアプローチを要するであろう。もし160yd以上のキャリーが出せるのであれば、グリーンオンのチャンスがある。

※写真

ティ100-1463

十二番『Long Vally 長い谷間』M331yd BogeyW331yd Bogey

ティから100ydほどの谷間を超えて、低地から打ち上げていくホール。名前はそこから来ており、禿山時代では非常にプレッシャーがかかったであろう。

このホールがドライビングコンテスト対象で、フェアウエイの中央に何か白いものが見えた。到達点を示す旗のようである。

 筆者のショットはその小旗の45yd程手前に置くことができた。宮應さんはフェアウェイ左の180yd地点の木とOBラインの間のフェアウェイに打たれた、和田さんは谷を越えた右サイドであったと記憶している

全員が打ち終わって歩こうとしたら和田さんの『来るよ』の声。すると目の前にボールが一つ落ちてきた、まさかと思っていたらもう一つも近くに落ちてきた

後ろの組が11番ティからのショットを左へオーバーさせたのだ‼十二番ティがグリーン左の斜面にあるとは言え…危ない危ない

 なお、こちら側にボールが行くとちょっとした打ち上げになるので十一番の攻略としては左オーバーは禁物である

二打目は坂を上がっていくのでグリーンが見えない。残り150ydは切るかどうかなので、マッシーアイアンで打ってみた。がオーバーするとどうなるかわからないので、暫定球を打った。(皆は怪訝な顔をしたが、8番の恐怖があるのだ‼)

坂を上がってみると、二つの球はどちらもグリーンの手前にあったのでほっと一息、アプローチは悪くなかったが3パットをしてしまい6、ヌヌヌ…

※攻め方としては、普通にウッドクラブで打って大丈夫だが、260~270ydを超えたあたりから傾斜(上り坂)が大きくなってくるので、200yd前後にショットを停めて高めのマッシーショットでグリーン手前の緩やかなライに置いてランナップが安全だろうし、もし230~260ydを打てるならばマッシーニブリックでグリーンを狙って行けるであろう。

ただ180~200yd地点ではグリーンの面が見えないのが難である。

ご婦人はプレーヤーによっては飛距離の点で谷越えが大きな問題になるやもしれない。

そういった方は十五番ホール寄りに打ち、そこからマッシー等で左斜めへ打って230~260yd地点に置き、マッシーでグリーンやその周辺に置く3~4オンルートで進むべきか

※写真

撮り損なったか、カメラにあったのを消してしまったか。 消した100-1464が12番で、お渡ししたデータに残っていましたら使用されてください。違う乃至無いようでしたら100年史・神戸GCHPのを引用してください

十三番『Purgatory 苦難の場』 M193yd BogeyW148yd Bogey4

大きな打ち下ろしのホール、フェアウェイはグリーンの手前を除くと左に大きく傾斜しており、100~130yd地点で左に打ってしまうとフェアウェイの端っこのOB杭を超えてしまいかねない(OB杭より左側には笹やススキの藪があるのでそっち側に杭を置くべきでは?と思ったが、貯水池やポンプ小屋があるので致し方ないのだろう)

 成功と失敗をした際の差が大きなホールであるが故に、煉獄を意味するこの名がついたのだろう

和田さんは引っかけてしまい、OB杭の方へ打ってしまった。行方を見ようにもちょうどティの前にある木立の為にそちら側がはっきり見えないのでハラハラするが、幸いなことにフェアウェイ端の手前の芝が剥げていたので、そこに引っかかって止まってくれていた。

筆者はグリーン手前に打つと高いピッチショットを打たねばならないので、(こちらから見て)アプローチのしやすいところ、と思案すると、十四番ティの有る段の右下の小道が平らに見えるので其方に打った。

ボールはうまく狙ったところに行ったのだが、少し飛びすぎてしまい、道のわだちから1.5yd位先の斜面に停まってしまった。行ってみるとその斜面は日当たりが良いとはいえ、谷間ゆえか、水分たっぷりの水苔の上に野芝が生えている所で(もう数十㎝上ならライも違っていただろう)ニブリックで斜めに切るように打ったが、きれいに水苔を削いでボールは当初打ちたかった小道にポトリ……Oh( ^ω^)・・・ 

 『打ちたかったところに置いたのさ』と言いながら打ったショットもグリーンに乗り切らず、乗ってからもグリーンが水分の多い谷間ゆえか、ほかの所より(高台の13番はよく乾いていたのに比べ)シットリしており3パットで7、全くもって困ってしまう。

※フェアウェイは右サイドを除くとほぼ左の谷間に向かって傾斜しているので、グリーン直接落とすないしグリーンのごく手前~土手に突き刺す自信がないならば、筆者のように右サイドを狙って、そこからアプローチをしたほうが良いと思う。

 ご婦人の場合はティがだいぶ前にあるので男子と同じ打ち方でも大丈夫と思う。

※写真

ティからの全景100-1465筆者は左に見える白い道を狙った

ティショットが斜面に乗って、二打目は目の前の道にポトリ100-1466

十四番『Paradise パラダイス』M176yd BogeyW171yd Bogey

難関を通り過ぎれば後は楽園だ。というネーミングなのだが、グリーンの手前までだらだらの上り坂のホール。しかし同じ様に谷底からの打ち上げになる八番よりは上り方が緩やか。

なぜか筆者はココでの記憶が非常にあいまいになっている。確かマッシーアイアンで打った?ティショットは九番と同じように右側のマウンドにボールが行って、探し回るも見つからず。(途中コース造成時代の名残らしい大石が僅かに顔を出しているのを目にする)

おかしいな?思案していたらキャディさんからグリーン右のバンカーを飛び越えて奥にボールがあった知らせを聞き、こんなに飛んだのか?と頭の中に⁇マークが並んだ。

そのあとのアプローチも右に行った様な、行かなかった様な、とかく5で納めたのは間違いない

※グリーン周りで右側にバンカーがあることと、その外はうっすら窪んでいるくらいで

8番よりはずっと優しい、ロフトのあるウッドかロングアイアンでまっすぐ打つべし

 ご婦人もドライバーかブラッシーで真直ぐ打って軽いピッチで乗せる攻め方が良だろう

※写真

14番ティ100-1466

十五番『Groom’s Puttグルームのパット』M396yd Bogey5  W336yd Bogey5

A.H・グルームが愛用のスケネクタディパター一本で相手をこのホールまでにやっつけ

てやる。と言ったとか、このホールはパター一本競技だ。と相手に持ち掛けた処から名のついた六甲の最長ホール

フェアウェイの手前側とグリーン手前からが下がっているほかは殆ど平坦なホールで左手の斜面(OB)を下がった所に金網で覆われた登山道路がホールに沿うようにして通っている

ホール自体はほぼ真直ぐなのだが、男性用のティからは位置の関係で手前150~170ydから左にゆるくドッグレッグするホールで、左前方の灌木によってショートカットもし辛い

まだ芽吹き始めの頃なのでフェアウェイは薄茶・こげ茶・若葉色が混在したマダラ色で(ホールによって芝をはじめとする植物の色合いが違っているのは水脈の有無や土壌の保水力に大きな差があるのであろう)荒涼とした風景かつ風が出てきたのでリンクスのようであった。

宮應・和田ご両名は左に打ってOBを出されてしまい難儀をされていた。筆者がティに立った時、更に風が強くなりニッカーズの裾がバラバラ言っていたので秒速10m位は吹いていたかもしれない。

風の合間を縫って打ったショットは12時20分くらいの角度で飛び出し12番ホールのほうへ行ってしまった。

 12番のグリーン左側にある電波中継施設まで言っていたら事だ。と考えていたがグリーン周りにも無く、傾斜を転がって15番との境界にある松の木立の間に戻ってきてくれていたのを皆さんが見つけてくれた。

そこからフェアウェイ斜め前方に転がし戻し3打目を打つとまた右の木立のほうに行ってしまった。幸いグリーンまでの区間を邪魔するものはなかったが、グダグダになり8

※ティからだとセンターラインよりもティ前のOBラインの(球留め)小フェンスに沿って真っすぐ打てば飛びすぎても十二番沿いの木立に打ち込むことはないだろう。

ティ前の窪地を超えられれば、二打目地点は(細かいうねりはあれど)300ヤードヒッターでもない限りフラットなライから緩い下り坂の先のグリーンを狙うことになる。

 グリーン周辺は十二番との境当たりから右手前が谷に向かって傾斜しているのと、左横は木立と登山道路があるため、ダイレクトにグリーンに落とす自信がなければ、フラットな正面から左サイドにおいて少し上げるピッチ&ランで攻めるべきだろう。

 ご婦人の場合、男子のティと違ってセンターラインに一直線に向かっているので、フックを注意してティショットやセカンドショットをウッドクラブでのびのびと行えば、グリーンのそばに持って行けるであろう。その際には男子と同じように右サイドの傾斜に注意しアプローチのうち易い所へ運ぶべし。

※写真

ティからの風景、当時は風が強く吹いていた100-1465

十六番『Quarry 石切り場』 M366yd Bogey5  W316yd Bogey5

フェアウェイ右手の小山が石切り場であったことから名がついたホールであるが、初めてこのホールを訪れた方ならば筆者のように『なんじゃこりゃ!?』口に出してしまうかもしれない。

というのもティが崖の上にあり、真下が十八番のフェアウェイで、ちょうど先行の組が歩いている。十八番ティが1時10分くらいの方向180yd辺りにあり、十六番の進行方向は谷を降りて登ってまた降りる。というレイアウトで、最高度地点はフェアウェイが左に大きく傾斜しているのに対し、ソコから右にドッグレッグをしている。

つまりホールを攻めるには左に置きたいが傾斜が怖い、安全に右に置けば全くブラインドかつ、急な左足上がりのライからコーナーをカットしなければならない厄介なホールであり、我々の使うクラブでは坂の途中に停まるので試案どころである。ホールハンディは15番が1に対し5、筆者としてはここが1であると思う厄介さであった。

 筆者は一番長いクラブがウッデンクリークなので傾斜の手前、180yd先のフェアウェイ中央に置ければよいや。とティッショットを打ったら、なんと12時50分当たりの方向に飛び出し、18番ティの斜め前方のフェアウェイギリギリにボールが行ってしまった。(後日JGAの武居氏に『変なところに打ったねー』と言われてしまった)

そこからのショットはグリーンまで160ydのマウンドを超えるショットなので、スペードマッシーでショートカットをする形のレイアップ、結果はグリーン手前40ヤードくらいまで行ってくれたのでほっとしたが、アプローチ・パットが芳しくない、が6で上がることができたので良とすべきか否か?

和田さんはOBの後に暫定級が必要なショットをされてしまうも、ボールは残り何とかまとめることができた。このホールで一番難儀されたのは宮應さんであった、氏のフェアウェイからの二打目が右に飛び出し、ラフの最高点、ホールの名前の基となった石切り場の跡地である高台の中に行ってしまった。

そこは角切りの岩肌や松の木のあるラフであるのだが、ちょうど芽吹き時であった事とそのスペースが開いていたので打つことはできたが、寸刻みのような形になって仕舞われていた。夏草が茂っている時期ではもっと大変であったろう※どう攻めるのが良なのか、筆者は考えあぐねる。右手に打ってマッシー以下のクラブで小山の裾を超えて、軽い左足下がりのアプローチをグリーンに向かって打つ筆者のような

攻め方か、フェアウェイの左サイドに打ってロングアイアンやマッシーで直角にグリーンを狙う攻め方があるが、前者は失敗すると小山につかまるかコースを突き抜けてしまう、後者は200ヤード以上のキャリーがいる事と左のラフやOBが怖い。

グリーンの周りや奥は狭いので手前からアプローチで乗せるのがよいだろう

 ご婦人の場合キャリーで150yd以上行ければ左サイドから攻められるので男子同様にドライヴの成否が次の攻め方のカギになろう。ロングアイアンやウッドでグリーンまで転がし上げるか、マッシーで刻んでアプローチをするか。

※写真

ティから見た光景、足元にいるプレーヤーは18番グリーンに向かっている100-1469-70

十七番『Shorty 最短』M121yd Bogey3W116yd Bogey

グリーンを4つのバンカーが取り囲んだホール。名前の通り一番短いヤーデージ。

筆者はいつもの習いでスペードマッシーで打つも右にそれてしまいグリーン手前右側の松の木のほうへ行ってしまう。幸い松の木を超えたうえ、バンカーとバンカーの間の花道もある場所であった。

ニブリックのチップショットと2パットで4(先に述べたがパット前、カップがせり上がってグリーンからフチが飛び出していたので、『これじゃぁダメだ』と和田さんが埋めなおした)

※バンカーがあるが、恐れずマッシーニブリック等でしっかり振ることだ‼

ご婦人も距離にあったクラブでしっかり打ち抜けばスピンで止まってくれるだろう

※写真撮れず、100年史・神戸GCHPからの引用をされますかどうか

十八番『Deoch an Doruis 一杯やって帰ろう』 M 223yd Bogey4  W215 yd Bogey4

直線距離ならば200yd強でグリーンエッジに届かすことができる軽い左ドッグレッグのホール。名前はゲール語の(終わりなので)一杯やって帰ろうよ。

から来ており、音に合わせて英語の当て字をしてある

和田さんはかなり疲れられていて(後日お会いしたら右足に古傷があってそれが再度傷んでしまったとのこと)十七番グリーンから十八番ティまでの道では皆に大きく遅れてしまっていたので筆者は心配で戻った位であったので、相当お辛かったのだろう

そしてティショットは右に酷くひん曲げて笹薮に打ち込んでしまった。筆者は良く見えていなかったのと、自分のショットがヘンテコなところに行ったので、『僕よりずっとましですよ』と言ってしまったのだが、皆で探しに行ってその状況を知り、悪いことを言ってしまったと謝る。

宮應さんの球は右目であったがフェアウェイに置いてうまくショットをされた。

ヘンな所に打ち込んだ筆者のショットと云うのは、十八番ティ寄りに打ってしまった十六番でのティショットとは逆に、十六番ティの下にある斜面を降りる道に打ち込んでしまったのだ。幸い段になっているような所に停まって呉れたのでホッと一息。

そこからボールをグリーン手前20ydくらいのところに運びランナップショットと2パットの5で無事に終わらすことができた。

※高低差や距離だけを考えればグリーンの手前まで持って行くのは難しくない。しかし禿山時代とは違って木があること、クラブハウスの下にOB杭が立てられていることを考えれば、一番安全なのはマッシーやマッシーニブリックで刻んで、80~110yd先のグリーンを狙うルートだが、それに次いで許容範囲が広いのが185~200yd圏内のグリーン手前の花道~グリーンエッジなのでキャリーが大きくランの少ないショットが打てれば狙ってみるのも一興であろう、なおグリーン奥には練習グリーンがあり、また左側の練習グリーンもセーフのようなので、フックとオーバーには許容範囲がある。

 ご婦人の場合、ティの位置、そして150yd地点のフェアウェイが一番狭いことを考えると。ティから右寄りのライン(ホールから見て後ろに戻る)にフェアウェイウッド以下で打ち、マッシーなどで狙うのが一番安全ではなかろうか。

※写真

ティからの全景、プレーヤーのやや左側の先にグリーンがある100-1471~72

 大会結果

ラウンドが終わり、クラブハウスへと上がっていくのだが、十二~十四番辺りで、八番での打ち直しの際にドロップでなくプレースをしてしまった際のペナルティがつく事を思い出すも1打か2打か判らなくなり、ホールでのスコアの集計時にルールの早見表を見たが出てこず、周りの方々に聞くと1打とのこと、これをプラスして95-24=71。ハンディキャップ通りのプレーであった。

カードを提出して、奥の食堂でお食事会をしながら表彰式が始まった。

結果は、ベストグロスが菊池謙二氏の75、優勝者を決めるネット部門が61で藤井慶幸・中山浩美両氏の同着優勝であった(後者については翌日判り、後日改めての発表となった)和田さんは『70歳以上の部』で優勝された

 また、ホールインワンをされた国江仙嗣氏のために参加者たちでクラブのフラッグに寄せ書きをし、それを贈ることになった。

 なお余談だが、国江氏はこれを記念して所属倶楽部でヒッコリーイベントを行われていることを述べ、後日敢行されている。

大会前は隔年で東西開催案が挙がっていたが来年も六甲で行うことがこの表彰式でブルース氏によって一同に報告され、筆者はまた詣でができると愉しみが湧いてきた。

表彰式も終わり、参加者方が三々五々帰路に就く時間になった頃、筆者は別れのあいさつを交わすと共に、ブルース・藤田両氏らと片付けをし、ご両人の帰り支度がすむまで、池戸支配人にグルームの土地借用書類やノコギリなどを見せて頂いてギリギリまで神戸GCについての話をした。

(前日かこの時か帰国が混同してしまっているが、池戸氏から1980年代に発行された現クラブハウスを設計した、建築家W.M・ヴォーリスの伝記絵本を見せていただいたが、帯に軽井沢のヒッコリーイベントのMCである阿川佐和子氏の推薦書評が書かれていたのは、どういった偶然であったのか!?)

 準備がすべて終わった後、我々三人は軽井沢イベントでお会いしている坂野氏の車に乗せて頂き、新神戸まで送っていただいた。そこでブルース・藤田両氏と別れ、徒歩でホテルに戻り長い一日を終えたのである

※写真表彰式100-1473~86

優勝の藤井慶幸氏100-1481-86

ホールインワンの国江氏100-1472~73

70歳以上部門優勝の和田氏100-1476

お味噌

筆者は翌日予定通り、広野GCにあるJGAゴルフミュージアムに資料閲覧に行き(倶楽部ではヒッコリーOPに参加された方がスタートされようとしていたのと、トムソン氏が来られていたのを後で知り、帰りにクラブハウス二階に上がらせてもらい、後者へ挨拶をした)、

貴重な資料を読み、どこから手を付けてよいのか判らなくなったり、書籍以外の資料が置かれている由々しき状況に嘆息するなどしていたが(これはまた改めて)、その際にJGAミュージアム委員の武居氏にお礼と、氏から前もってミュージアムの状況を聞いてたものの、想像以上の惨状にショックを受けた事の訴えと共に大会の報告をした際に、8番のペナルティが2打である。と伝えられ、茫然となる

すぐブルース氏に連絡し、自分は失格ですよねと伝えると「入賞の人しか集計をしていないから、直して居ればよいよ」と言って頂いたものの、ミュージアム内の史料の置かれた状況と、どこから読んでよいかわからない量の書籍や何やらの複合技で頭がパンクしかけた。

そのあとに大叩き男氏にもう一度聞いたり、その時よほど混乱したのか、集計とは別に書いた、記念土産用のスコアカードに署名をしてくれた和田氏に事情を説明し打数を直してよいか訊いて、是と言って頂き、直すという動揺っぷりであった。

これはプレー紹介で書いたような状況下で酷く焦って、正しい所作をしなかった事に加え、集計時にもR&A規則裁定集があったのに見なかった凡ミスの複合技であり、優勝争いをしていなかった。という事が幸いであった。(でなければ立ち直れなかっただろう)

反省点として、危なかったらすぐ暫定球を打つべきであり、スロープレーにならない限りは焦らないこと、そして早引き判例集だけでなく正規のルールブックも携帯すること(今回は前者しか持ってこなかった)であり、こんな間違いはもうしたくない。

一連については自戒を込めて書くとともに、読者の皆様への他山の石となっていただければ幸いであります。

今後の展望

さて、自分のスコア誤記で大会に味噌をつけてしまったが、今後の大会発展についての見解や考察をさせていただきたい

ボギーの換算であるが、十番を3、十三番を4にすべきだったのでは?と考える、また女子は男子に比べ同じボギーだと辛いホールがいくつかあることを考えると再考が必要であろう

ブルース氏と後日話をした際に次回大会は80名枠に広げて行いたい。その場合は1・11番のショットガン方式で行うことになるだろう。と言われていた。(※第二回大会は40人の定員で開催されることになった)

そしてその際にはAフライト、Bフライトに分け、前者はローハンディキャッパーのストロークプレー、後者はハイハンディ者のステーブルフォードでプレーする方法にするのはどうか。とのこと。

またブルース氏は、だいぶ低いネットスコアが出たことから、ハンディキャップの振り分けについて再考の余地がある。と言われていたが、六甲という特徴的なコース故、ショットが巧くいけばよいスコアが出せる一方、荒れ出すと7以上の数字に苦しむことだってあり得るので(筆者はそれを目の当たりにしている)、あれでも大丈夫だと思うが、如何であろうや。

 とにかくハンディ20~24でプレーをした人達でも、アイアンやロフトのあるウッドでのティショットがグリーンとその周辺に打ち、アプローチがきちんと出来れば4.5~5のペースで廻ることが可能であろう

使用ボールについて

今回大会の公認ボールはマッキンタイア・ボールCo.のメッシュカバーボール『Victor』のみであった

筆者は大会前に、他のボール、ウィルソンの超ソフトモデル『DX2』や他のモデルはどうなのか。と尋ねたが、今後テストが必要であるが今回はVictorだけで行こう。ということになったのだ。

どうしてもレンタルクラブでは安全なボールが必要になるので致し方ないが、自前のクラブを使う方々の中にはDX2やタイトリスト、新古品の糸巻きボールを使っている方が一定数いるのだ。

檜杖氏は前日DX2ボールで60台を出していたが、当日Victorボールになった為タッチの変化になじめず80台を打たれてしまった(後日スコアの増加についてお尋ねした際に理由を教えてくださった)

 第二回大会は海外からの参加者も期待されるのであるから、レンタルセットは安全面の問題でVictorボール、それ以外はテストをした認定ボールでよいと思う。

当初の予定では隔年で東西開催を計画していたようだが、来年も六甲での開催が決まったが、同地での開催が固定された場合についての意見を。

筆者は神戸で固定されても何ら不満はないのだが、第一回開催にあたり出場したくても距離や時間・資金の関係で出場できなかった方々が居られたのを忘れたくない。第二回大会では枠を増やすことを考えて居られるならば東日本始め各地区のプレーヤーたちが皆で行けるようなキャラバンを作る事が出来ないか考えるべきではなかろうか?

少なくとも筆者が体験したような行き来に長距離バスを使う方法はたとえ宿泊しても往復はお勧めできない、帰宅後疲労で2~3日ノビてしまったからだ。

また、来年度の大会招待を賞品にした東西のオープン選手権を開催するのはいかがであろうか。

コース攻略のための使用クラブやショットについての考察

神戸GCにおいてヒッコリーゴルフを(今回のようにフロントティで)プレーする場合、男性の場合は170~200ydの高めのキャリー出るティショット、130~150ydの良く停まるアイアンショット、50~80ydのピッチショット、20~30ydのハイピッチ乃至ロブ、そしてランナップショットが打てれば安心できると思う。

女性の場合はボギー数が増えるのでちょっと違うが長いショットは男に比べて30ydマイナス位が目安になるであろうか。ここはヒッコリーゴルフをなさるご婦人方にお伺いを致したい。

使用クラブとしてはウッドが15°,18~25°の二本、名称で言うとブラッシーとスプーン~ブルドッグ(ソールに大きなRが付いたズングリとしたヘッドのショートウッド)のフェアウェイウッド 。

アイアンは25°,35°,45°,50°のいわゆる、ミッドアイアン・マッシー・マッシーニブリック・ニブリックで 用をなすと思うが、筆者が使ったよミッドマッシーやマッシーアイアン(28~32°位)、スペードマッシー(40°位)等の中間クラブが打ちやすいかもしれない。

そしてサンドアイアンやフランジのあるニブリックは皆さんに大きく役に立つと思うので、お持ち乃至入手のできる方は使われるのをお勧めする。パターは打ちやすいものなら何でも。であるが、基本的にグリーンが重かったので、パチンと打てるモデルが良いと思うが、とにかくその人が打ち易いモノが一番だ。                 

ブラッシーで200~210yd(女性ならば150yd以上)の高い球を打てる人は、ドライバーはバッグに仕舞い、ブラッシー以下のロフトのあるウッドを持っていくことを切に進言する。

というのもドライバーはコースの状況から、持ち球が低い球であったり、コントロールが一定以上効かない場合はお勧め出来ないのだ。が、もし貴方がキャリーで230yd以上(女性は180yd以上)コントロールの効いた球を打つことができるのであれば、7,12,15~16,18番でここぞという勝負に出ることができるが、個人的にはやはり170~190yd先のグリーンやその周辺に停められるショットができるクラブに注意を払うべきだと思う。

もし平地でマッシーを140~150yd先のグリーンに落とせられるのであれば、六甲では160yd先を狙えるだろう、コースが高地にある為、10yd強伸びると考えられるとよいだろう。

                            -了―

                          2018年10月9日筆

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